任天堂の代表取締役だった、岩田聡さんが、55歳という若さで胆管腫瘍のためお亡くなりになりました。
日本のゲームプログラマとして尊敬してました
岩田さんは元から経営者ではなく、最初はプログラマとして社会人をスタートされています。
といいますか、ゲームにハマって、そのままHAL研究所でアルバイトとしてスタートされている、というのが正解でしょうか。
HAL研究所が出したソフトは、私が小学校の頃、よくゲームで遊んでいました。そのうちのいくつかは岩田さんがプログラムしたものもあったと思います。
岩田さんの逸話はいろいろ聞いていて、「日本のゲームプログラマにはすごい人もいるんだな」と感じていました。
その後、HAL研究所が多額の負債を抱えて和議を行い、それまで開発畑だった岩田さんが、代表取締役に就任してからが、岩田さんが経営に携わる直接的なきっかけでしょうか。
経営者としての才能があったのが良かったのか、悪かったのか
そんな才能あるプログラマが、運悪く(!)経営のほうにも才能があったために、任天堂の社長にも任命されることになりました。
岩田さんレベルであれば、宮本茂さんらとともに、一流のゲーム開発のスペシャリスト(テクノロジスト)として、ずっと活躍もできたのでしょうが、経営者としても活躍されてきたのですよね。
経営者としての重責は、本当に考えるとゾッとするものがありますが、それが岩田さんの寿命を縮めてしまったのかもしれないと考えると、悲しいものがあります。
社長になったことを、幸福と考えるのか不幸と考えるのかは、人それぞれだと思います。
そんな岩田さんの人となり、↓のコンテンツでも読み返すことができます。
岩田聡さん、ご冥福をお祈りします。