今、非実在青年ならぬ非実在老人の問題が大きくクローズアップしていますね。186歳、200歳の方が「戸籍上は実在する」ことになっていました。また、既に死亡しているのに年金を受け取り続けることができる「年金の不正受給問題」も含めて、考えてみたいと思います。
まず、情報セキュリティの観点から言えば「今すぐ戸籍は廃止すべき」だと思います。
情報セキュリティには3つの原則があります。
・機密性(Confidentiality)
「アクセスを認可された者だけが情報にアクセスできるようにすること」です。許可されたルールに従い、情報が守られなければなりません。
・保全性(Integrity)
「情報の正確性や完全性が維持されること」です。情報の間違いや改ざんを防がないと情報としての価値が落ちてしまいます。
・可用性(Availability)
「システムが壊れにくいこと」です。必要に応じて利用・制御ができないと、情報としての価値が落ちてしまいます。
戸籍は保全性は完全にアウトですね。情報に間違いが多すぎます。
可用性の面でも、戸籍のデータベース化はまだ完全ではなく、結局必要な情報にすぐにアクセスできないため、その結果、普段利用されているのは住民票です。
もともと戸籍は東アジア諸国など、ごく少数の制度ですし、戸籍がない国のほうが圧倒的です。
情報が正確ではなく、利用される機会も少ないデータベースを運用するために、毎年多くの人件費とシステム運用費を費やしているかと思うと、税金の無駄としか思えません。
感情論でいえば、「戸籍は昔ながらの文化だから残したほうがいいのでは?」などいろんな意見が出ると思いますが、実際には「戸籍 – Wikipedia」でまとめられる通り、婚外子差別問題、部落差別問題、性同一性障害者の問題、などなど利点より欠点のほうが多いように思います。
また、年金記録の問題は、戸籍とは別の制度ですが、これまた非常に複雑怪奇なシステムです。
年金記録の問題が2007年に大々的に問題になって以来、ようやく社会保険庁で一応の収まりをみせていますが、これもいわゆる複数データベース間の「名寄せ」ができていないため、情報の正確性が確保できていません。
今回は、年金記録情報と、住民基本台帳や医療機関の受診記録と付き合わせることで、本当に実在しているのか調査が行われていますね。
こうやって見ていくと、歴史的な背景を引きずっているにせよ、とても技術先進国の国家情報インフラとは思えないほど、ぐちゃぐちゃですね。
必要なデータベースは活かし保全し、不必要なデータベースは整理するなど、事業仕分けならぬデータベース仕分けが必要なタイミングではないでしょうか。