となりの芝生がより誤認してくっきり見える時代

今日のネタは、余談です。

技術革新がもたらす社会不安について、面白い考察がありました。

貧富の差の「見える化」で到来する高不安時代 – Market Hack

前にも、過去産業革命がもたらした例を記事に取り上げておられたので、思い出しました。

1855年のマンチェスター 『共産党宣言』が生まれた背景 – Market Hack

日本でも「隣の芝生は青く見える」という諺があり、自分の持ち物より、他人の持ち物のほうが羨ましく見えるのが昔からの常なのですが、現在はぼぼ全員に携帯電話やスマートフォンが行き渡ってしまっているので、より青々と見えてしまいます。

基本的にソーシャルメディアは人生で良いこと(あるいは日常の良い部分)を中心に切り取られていきますので、余計です。

逆に、掲示板などでは匿名性が高いため、よりルサンチマンがくっきり出てしまう場合があります。

いろんな物事が、時に情報がそぎ落とされ、時に事実よりも誇張され、時に想像以上に伝搬されてすぎてしまう、そんな時代に生きているのだなぁと痛感します。

上のブログは金融系のブログなので貧富問題中心に書かれていますが、もはやお金のあるなしだけで幸福か否かが図れなくなっている時代ですし、価値観も様々あり、その価値観同士のぶつかり合いを日々目にしてしまいます。

私も、ときどきインターネットの情報の洪水に心が折れそうになることがあります。

そんなときは、一旦ネットから離れて、自分自身と対話するようにしています。
自分にできること、自分が持っているもの、それらを再評価します。
(自分が見えなくなっているときは、他人から自分の良さを指摘してもらいます。また、心理学かどこかで、幼い頃の自分との対話が効果的と聞いたことがあります。)

そうすることで、本来自分がやりたかったこと、目指したいことが、おぼろげながら見えてきます。

他人がどうこう、という前に、自分が社会の中でどうありたいのか、もう一度思い返すときなのかもしれません。

他人の芝生ばかり見ていては、主体性がなくなっていくばかりか、どんどん心が辛くなってしまいますからね。

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